第2章 皆保険まで(1945〜1961 年)
戦争が終わったとき、日本の病院は足りませんでした。
この章では、病院を増やすための医療法と医療法人の制度、そして保険のない人を無くすための国民皆保険までを見ます。
この時代の数字(1950 年 → 1960 年)
- 病院の数3,408 → 6,09410 年で約 1.8 倍
- 結核の死亡率146.4 → 34.2人口 10 万対
- 出生数233.8 → 160.6万人1949 年の 269.7 万人が最多
- 医療保険のない人約 2,871万人1956 年 3 月末。総人口の約 32%
図の高さは、数字ごとに最も大きい値を上にそろえた。
病院の数は平成 30 年版 厚生労働白書 資料編、結核の死亡率と出生数は人口動態統計、保険のない人は平成 23 年版 厚生労働白書 印字 44 頁
病院が足りなかった
白書は、終戦直後の医療を「戦災で多くの医療施設が破壊・閉鎖され、医療従事者の不足や食糧・医薬品・衛生材料の不足と相まって、戦後の我が国の医療施設の状況は悲惨なものであった」と書いています。
厚生省は 1945 年に旧陸海軍の病院などの返還を受け、国立病院と国立療養所として一般に開きました。
1948 年に医療法が作られました。
白書は医療法を「医療水準の確保を図るため病院の施設基準を定めた医療法」と書いています(厚生労働省PDF)。
同じ法律に、都道府県や市町村が公立病院を建てる費用に国が補助できる規定が置かれ、1951 年には補助の対象が日本赤十字社、厚生連、済生会にも広がりました。
1952 年までは衛生年報、1953 年からは医療施設調査。
出典: 平成 30 年版 厚生労働白書 資料編 医療施設(病院、診療所)数の推移(厚生労働省)
医療法人の制度で、民間病院が増えた
民間の病院は、施設の基準を満たせばどこでも開ける「自由開業制」でした。
ただ、戦後の苦しい経済の中で、医師がひとりで病院を開くのは難しいことでした。
医療は非営利なので、会社のような法人になる道もありませんでした。
そこで 1950 年の医療法の改正で、病院を開く者が非営利の法人格を持てる医療法人の制度が作られました。
白書は、1955 年からの 10 年間で「民間病院の病床数は198,096床から424,224床へと、約2倍に増加している」と書いています(厚生労働省PDF)。
医療法のその後の改正は、コラム「医療法改正の歴史」に一覧にしています。
死因の第 1 位は、結核から脳血管疾患へ
人口 10 万対。
線は、値のある 1947 年から。
日本における日本人。
1972 年以前は沖縄県を含まない。
出典: 人口動態統計 月報年計(概数)の概況 図表 3-6(厚生労働省)
1950 年の死因の第 1 位は結核でした。
白書は、治療薬の普及や健診、予防接種などで結核の死亡率が大きく下がり、「1951(昭和26)年に脳血管疾患が結核に代わって死因の第1位を占めるようになり、1958(昭和33)年には、現在の3大死因である悪性新生物(がん)、心疾患、脳血管疾患が死因の上位を占めるようになった」と書いています(厚生労働省PDF)。
これらの病気は「成人病」と呼ばれ、1955 年ごろからの成人病対策につながりました。
保険のない人が、約 2,871 万人いた
医療保険は、労働者の健康保険法が 1922 年に、農民などの国民健康保険法が 1938 年にできていました。
しかし、零細企業の労働者とその家族や、国民健康保険を行っていない市町村の住民には、公的な保険がありませんでした。
平成 23 年版の厚生労働白書は、皆保険が求められた理由を次のように書いています。
医療保険制度の未適用者が 1956(昭和 31)年 3 月末の時点で約 2,871 万人、総人口の約 32%存在し、大企業労働者と零細企業労働者、国民健康保険を設立している市町村とそれ以外の市町村住民間の「二重構造」が問題視された。
こうした状況下で、医療保険未適用者の防貧対策として、国民皆保険の実現が強く求められるようになった。
平成 23 年版 厚生労働白書 第 1 部 第 2 章 印字 44 頁(厚生労働省PDF)
同じページで白書は、1960 年度に生活保護を受けた世帯のうち 55.4% は、世帯主か家族の病気が原因だったとも書いています。
1961 年 4 月、国民皆保険
1958 年に国民健康保険法が全面的に改正され、1959 年 1 月から施行されました。
すべての市町村に 1961 年 4 月までに国民健康保険を始めることを義務づけ、被用者保険に入っていない住民は強制加入としました。
白書は「1961 年 4 月からの実施となり、ここに計画どおり国民皆保険体制*が実現した」と書いています(厚生労働省PDF)。
1958 年 10 月からは、今の診療報酬の骨格になる点数表が使われ始めました。
皆保険のときの窓口の負担は、被用者保険の本人は無し、家族は 5 割、国民健康保険は 5 割でした。
国民皆保険の今の仕組みは、医療費の見える化講座の用語集「国民皆保険」で解説しています。
次の章では、皆保険のあとに給付が広がっていった時代を見ます。
制度や数値は掲載時点の情報です。最新の内容は所管の原文でご確認ください。 時代の区分は平成 19 年版厚生労働白書に従い、2000 年より後は改正の年で区切りました。数字は国の統計の公表値で、統計ごとに対象と時点が違います(各図の注を参照)。 内容の誤りは訂正受付窓口からお知らせください。